妻は幸せではない。

妻は幸せではない。そう本人が言っていたのだから幸せではないのだろう。原因はぼくである。

幸せにしてもらえると思ってプロポーズを受けて結婚したのに、いざ蓋を開けてみれば旦那は鬱病。仕事もままならない。幸せなはずがない。

妻は性格が難しい。難しいというか、自分のなかに理想や常識があって、それと食い違う行動や言動をぼくがとると不機嫌になる。でもぼくは妻とは違う人間だから、食い違いが出るのは当然だと思う。

ぼくはといえば、仕事はできていないが、妻と一緒にいられるので幸せではある。でも、それでは妻は満足しない。

ぼくは追い詰められている。

妻には恩がある。鬱病が1番酷かった時期に話を聞いてもらい、立ち直ることができた。だからできれば幸せにしてあげたいと思う。でも、そのことが重圧になっている。でも嫌われたくない。見捨てないでほしい。

病気のことを理解してもらいたいと思い、1番分かりやすく共感できた、ツレがうつになりまして、という本を用意した。読んでもらいたいが、その本の通りにしろってことなのかと受け取られそうで怖い。ぼくはただ、病気について知ってもらいたいだけなのだ。それに、どう接すればよいか、学べると思う。


いつか見捨てられるのだという思いがどうしても消せない。

大学生のとき(2)

彼女に浮気をされてから一年くらいは、恋人なんて要らないと思いながら生活してきた。もうあんな思いをするのは嫌だった。

ところが、ボランティアのサークルで後輩の女の子と仲良くなった。付き合いがよく、皆で一緒に飲んでいた。

彼女は女子校出身で、恋人ができたことがなかった。処女だった。年下ながら包容力があり、ぼくは惹かれていった。

理由をつけては二人きりでデートをし、告白して付き合った。大学生だったから時間もあり、色々なところにデートに行った。

クリスマスにセックスをした。処女だったが、血はでなかった。ただ、ものすごい征服感だったのを覚えている。彼女はぼく以外の男を知らないのだ。その事実が嬉しかった。

その後、特にケンカもせず過ごし、ぼくは大学を卒業して社会人になった。土日も仕事になることが増え、彼女との時間を作れなくなった。申し訳なく思った。

そして、仕事を辞めた。辞めて地元に戻ってきたら、彼女からフラれてしまった。現実的に考えれば当然だ。遠距離恋愛だったし、ぼくには先の見通しがない。でも、とても悲しかった。

結婚すると思っていたが、結局それは叶わなかった。その事実がぼくにのしかかってきた。見捨てられた気分だった。

惨めだった。

大学生のとき

ぼくは推薦で大学に入った。部活の成績が優秀だったし、授業態度も悪くなく、内申点も申し分なかった。

大学に入ってから二つのサークルに入った。ボランティア系と芸術系。どちらも楽しかった。

芸術のサークルで、ひとつ学年が上の女性の先輩から気に入られた。美人だった。何度か、他の先輩も一緒になって遊んでもらって、二人で遊ぶことも増えた。告白されて、付き合うことになった。

ぼくは舞い上がっていた。それまで恋人らしい恋人がいなかったぼくに、可愛い彼女ができた。嬉しかった。

ところが、彼女は少しおかしかった。睡眠薬を常用していた。それはべつにいい。だが、毎日のようにぼくの家に入り浸って、家事もせず、ゲームばかりしていて、ぼくが大学に行くのを嫌がるようになった。その頃は毎晩のように性行為をしていて、彼女らしい彼女がいなかったぼくは、それが普通なのだと思っていた。

彼女は年上だったから、ぼくより先に就活が始まった。行きたい会社があったが、受からなかった。田舎で育ち、進学校に進み、大学も有名どころまで行ったのは、全て就活のためだったらしい。そこまで気合いを入れていたから、とても落ち込んでいた。ぼくはまだ就活が始まる前で大学生活を謳歌していたから、そのギャップも彼女を苦しめていたのだろう。

そして、彼女の精神が怪しくなった。夜、何も言わずに出ていこうとする。それに気付いてぼくが止める。話を聞いてみると、死に場所を探しに行こうとしていたとのこと。そんなことが何度もあった。とうとう、常用していた睡眠薬を何倍もの量で飲んでしまった。幸い、死ぬことはないようだったが、死んだように眠る彼女を見て、ぼくは恐ろしくなった。

次の日はバイトだったが、そのままにしておくと死んでしまいそうだったし、なにより本人からそう言われたので、手足をガムテープで縛ってバイトに行った。たぶん、ぼくもおかしくなっていたのだと思う。バイトが終わり、ケータイを見るとメールがきていた。彼女の遺書だった。ぼくは、車を走らせ彼女の部屋に急いだ。外から見るとまだ電気が点いていたから、生きてると思った。部屋に入ると、彼女は首を吊っていた。あの光景は一生忘れられない。カーテンレールにコートのベルトを通し、首を吊っていた。足元には椅子が転がっている。だが、まだ時間が経っていないのだろう、苦しそうに息をしていた。ぼくは包丁を持ち出してベルトを切った。そして、親御さんに電話をした。

翌日は都内まで出て、精神科に連れていった。ゆうメンタルクリニックだ。漫画でしか知らない医者だったが、話を聞いてもらえると思った。だが、自殺未遂までしてしまった人間は手に負えない、つまり入院措置が必要だ、とのことだった。仕方なく、別の病院に連れていった。

彼女の親御さんに来てもらい、話をした。こうなってしまった原因とか、今後のこととか、色々と話した。大学生のぼくには荷が重かったが、彼女のためなら、と思い、知ってることを一生懸命話した。

彼女は片親だった。幼い頃に、両親が離婚したらしい。それ故に父親からの愛情が不足していたようだった。美人だったし、男を作るのには不自由しなかったのだろう、ぼくの前にも付き合っていた男が何人かいたし、一夜限りの関係も持ったことがあったらしい。それくらい、男からの愛情に飢えていたのだ。それが全部、ぼくに向かっていた。重かった。

それからしばらくして、彼女は自殺未遂こそしないものの、拒食症になった。体重は35kg程になり、肋が浮き出るくらい痩せてしまった。その頃からセックスレスになっていた。寝ているうちに勝手に挿入して済ませていいよ、とも言っていたが、そんなことができるはずもなかった。

3ヶ月ほどそんな生活が続いただろうか。ぼくは、デートにも行けず、セックスもできない彼女と今後を続けていく自信が無くなっていた。別れ話を切り出した。包丁でも持ち出されるかと思っていたが、すんなりと了承された。その日、ぼくは友人の家で泣いた。

程なくして、彼女が住んでいた街を歩いていると、見覚えのある顔を見た。彼女だったが、知らない男と嬉しそうに歩いていた。後から聞いた話だが、バイト先で知り合った男と浮気をしていたらしい。

それから、ぼくは女性を信用できなくなった。皆、浮気するものだと思うようになった。要らなくなったら見捨てられるのだと思った。あれだけ一生懸命救おうとしたのに、ぼくは必要なかったのだ。

幸い、ぼくには男友達が何人かいたから、彼らと飲んで騒いで、またアニメや特撮を見て、なんとか持ち直した。

ただ、いまでも、あまり女性は信用できない。特に、昔恋人がいたひとは、その恋人のことが忘れられないのではとか、そっちと比べているのではないかとか、そんなことばかり考えてしまう。もちろん、女友達も何人かいるから、そんなひとばかりではないと思ってはいるのだが、いまだに心の底からの信用はできないでいる。

20171020(2)

辛い。ここのところ辛い気持ちでいっぱいだ。原因が何かは分からない。

妻に言われて、ここ2週間ほど薬をやめていた。そのせいだろうか。病院嫌いの妻に言わせれば、病院に通っている間は鬱病が治ることはないだろう、とのこと。確かに病院に行けば鬱だと診断され薬が処方される。薬が出れば立派な病人の出来上がりである。一応は納得できる話だし、従ってみた。でも無理かもしれない。

死にたい気持ちが無いと言えば嘘になる。死にたくないわけではなく、死んで楽になりたいわけでもない。ただ、それ以外の選択肢が見つからない。

ぼくは大学生の頃に死にかけたことがある。サークルで海に行って溺れた。同じく溺れた友達は死んでしまったから、ぼくはかなり悪運が強かったのだと思う。死にたくなかった。

死んだ友達は夢に出てきた。海草にまみれた恐ろしい姿だった。その友達の葬儀に行った。行くのは怖かった。友達の親からしてみれば、ぼくの方が死んでてもおかしくなかったし、その方がよかったと思われているだろうと思った。でも違った。そういう運命だったのだろうと言ってくれた。救われた気がした。そして、そいつの分まで生きなければ、と思った。ぼくほそのときの義務感で、まだ死なないでいるだけなのかもしれない。

こっそり残していた薬を飲んだ。明日は病院に行こうと思う。妻は薄々、ぼくが鬱に逃げていると思うようになってきている。ぼくだって逃げたくて逃げているわけではない。ただ、いまいるのは井戸の底で、抜け出す方法が分からないだけだ。


鬱は逃げなのだろうか。健康なひとから、特に頑張って生きているひとからすればそうなのかもしれない。でもぼくの実感は違う。逃げているのではなく、それしか見えなくなっているのだ。だから、逃げていると思われるのは辛い。

心が休まる場所がなくなっているように思う。

20171020

ここ一週間ほど、ぼくはまた気分が沈むようになっていた。友人の結婚式に出るために上京し、久々に友人に会ってきた。すばらしい結婚式だった。

 

帰ってきてから、時を同じくして旅行に行っていた妻と二日ぶりに会った。妻は上機嫌だったし、いろいろと話ができた。ぼくもいろいろな土産話をした。話せて嬉しかった。

 

だが、週明けから妻の仕事が忙しくなり、持ち帰りで仕事をするようになった。苛立っていたし、話ができるような雰囲気ではなかった。

 

忙しい時期が終わって週末を迎えた。妻と夕飯を食べ、その後に晩酌をする予定だった。しかし妻はテレビやスマートフォンに夢中で、まったく喋ってくれなかった。晩酌もせず寝てしまうだろうな、と思い、ぼくは悲しくなって先に布団に入った。ないがしろにされた気分だった。布団に入ってからも寝られず、仲のよい友達にLINEで相談をしていた。

 

翌朝、ぼくは早くから外出した。携帯の調子がおかしいからで出かけるという名目だったが、実際は彼女に不信感を抱いていたからだった。見捨てられたとか、浮気をされたとか、そういう考えが頭から離れなかった。

 

携帯の修理を終え帰ってくると、彼女から「なんで昨日は早く寝たの?」と訊かれた。ぼくは素直に、不貞寝だったと言った。そして、少し話をした。

 

昨晩は晩酌をするつもりだったということ、不貞寝をしても慰めには来ないということ、日々の仕事で疲れているから一人の時間も一人の時間もほしいということ。そんなことを話した。話したら少しスッキリした。

 

その日の夜は晩酌をして、一緒に寝た。幸せだと思った。

妻との関係

妻は地方公務員をしており、ぼくがまだ働いていたときの月収と比べても多くの額をもらっていた。その分、激務だが。

 

ぼくは仕事を辞め、彼女と暮らすようになってから、炊事をするようになっていた。一人暮らしが長かったし、料理も好きだったのでまったく苦にならなかった。

 

主夫のような生活を続けて二ヶ月。彼女の苛立ちはMAXになっていた。「この二ヶ月、私は仕事でいろいろなことをこなしてきたけれど、あなたは何をしていたの?」と言われてしまった。確かにこの2ヶ月、ぼくの生活は生産性が皆無だった。ただ、家のことをしていたことはもう少し評価してほしかったが、彼女は違ったらしい。妻も夫も働いて家計を支えていく、というイメージがあったようだった。そうしてみれば、ぼくはその理想にはまったく適っていないのであった。

 

それからぼくは焦ってパートを探すようになった。正社員の求人も探した。だが、田舎なのでまともな求人はなかった。選り好みしている、とも言われた。仕事なのだから、つらいことも我慢してするべきだ、と言われた。

 

この頃から妻と過ごすのがつらくなった。居場所が無いように感じた。家に帰りたくなくかったが、食事を作らねば、という義務感で帰って、ぎこちない笑顔で妻の帰りを迎えた。

 

当然、夜の生活も減った。誘っても断られたし、男としての魅力が無くなったとも言われた。悲しかった。

 

 

 

ぼくは医者ではないが、鬱病についてはいろいろと本を読んで調べた。鬱病は脳の病気で、神経伝達物質がうまく伝わらないことで起こる。気の持ちようでなんとかなる次元ではないのだ。だが、妻はそう見ていないようだった。病気になったのは気の持ちようだし、病院に行っている限りは治らない、と言われた。こればかりはなってみないとわからない部分だし、なったことの無いひとに理解してくれ、というのも難しい話なのかもしれない。

 

幸いにして今のぼくは朝も起きれているし、街に出たり、本を読んだりすることもできるようになってきた。ただ、生産性が無いことに変わりは無いし、妻も今のぼくを認めてくれていないと思う。

新婚だけど欝になった。

2017年。ぼくは以前から付き合っていた女性にプロポーズをした。なかなか情けないプロポーズだったが、幸いなことに受け入れてもらえた。

 

仕事は大変だったが、順調だったと思う。好きな仕事ではなかったが、そもそもそのときは好きな仕事なんてものが世の中にあるとは思ってもなかったし、とにかく、正社員であればよかった。

 

 

ぼくの生まれは九州の某県で、特に不自由なく育った。普通の子供だったと思う。親の都合で何度か転勤をし、中学校に上がる前に今の県に定住した。幸い、転勤が多かったため、友達の作り方は心得ていたし、実際、友達はすぐにできた。

 

中学では優秀なほうだった。勉強は苦手ではなかったし、生徒会に入り、短い期間だったが彼女がいたこともあった。

 

高校生になり、見た目に気を遣うようになると、それなりに女の子から人気が出るようになった。勉強でも、学年に2つしかないトップクラスの教室にいたし、部活でも大会に出れば毎回予選を勝ち抜き、3年の夏には全国大会で優勝もした。当時は好きな女の子がいて、その子のことをずっと追いかけていた。3年間のうち2年間はずっと追いかけていたし、ぼくの高校生活のかなりの部分を彼女が占めていたと思う。最終的には、ぼくが不誠実だったおかげで告白しても振られてしまったが。

 

大学生になり、上京した。知名度のある大学の、少し田舎にあるキャンパスだったが、ぼくは満足していた。かなりの額の仕送りをしてもらい、大学からは少し離れていたが、一人暮らしには大きすぎるくらいの部屋に住んでいた。バイトもしたし、サークルも二つ入り、そのどちらでも精力的に活動していたし、友達もたくさんできた。彼女もいたし、うち一人は性格に難があったが、それでも幸せだったと思う。

 

大学を卒業し、ぼくは埼玉にある中小企業に入社した。印刷会社だ。勘のいい人はわかると思うが、印刷の現状は厳しい。なにせ、大手がほとんど抑えているし、いまや広告は映像に取って代わられつつある。例に漏れず、ぼくのいた会社も状況は厳しかった。そんな会社で、ぼくは新しい試みであった「成型品への印刷」という部署に配属された。そこがまた大変な部署で、ぼくは客のいる東京と会社のある埼玉と外注企業のある群馬を車で一日に何往復もする生活を送っていた。夜の0時になると「明日に響くから帰ろう」という先輩の指示に従い帰った。翌日は朝の7:30には会社に着き、一番乗りで仕事をする。寝る時間はなんとか確保できていたし、なにより若かったから、その生活自体は辛くはなかった。なにより、社会人になる、という初めての経験だったし、それが普通なのだと思っていた。

 

会社の社長は怖かった。ぼくはまだ新入社員だったから大目に見てもらっていたが、先輩は怒鳴られ、詰められ、イスを蹴られていた。そんな中で、ぼくは客に怒られ、外注にめんどくさがられながらも、なんとか仕事をこなしていた。だが、限界が来た。客との打ち合わせで大きなミスが見つかり、ぼくは怖くなった。そして、生活も異常であることを自覚し、仕事を辞めて故郷に帰ってきた。

 

地元に戻ってからは、親の勧めで資格の勉強をした。父の持つ資格と同じものだ。今思えば、父はぼくに事務所を継いでほしかったのだとだと思う。一日中図書館にこもって勉強した。ただ、このときからおかしくなった。

 

そんな生活を一年ほど続けていたが、ある日突然、起き上がれなくなった。文字通り布団から抜け出せなかった。三時間くらいかけて布団から抜け出した。食欲もなかった。何かがおかしいのが自分でもわかった。すぐに病院に行った。問診表の質問に回答し、先生と話し、結果、鬱病の診断をもらった。その日は、薬をもらって帰った。

 

薬をもらってしばらくすると、なんとか普通の生活を送れるようになった。とはいえ、資格の勉強は止めてしまったし、前職を辞めてからも一年近くが経っている。このまま就職するのは難しいだろうということで、公務員の勉強をすることにした。学費は親から借り、生活費は飲食店でバイトをして稼いでいた。月に10万くらいは稼いでいたから、小遣いもあったし、さほど生活には困らなかった。

 

そんななか、ぼくはどうしても誰かと話したくてたまらなくなった。病気のことを話したかった。真っ先に思い浮かんだのが、高校の同級生だった女の子だった。クラスも部活もずっと一緒で仲がよく、頻繁に恋愛相談もしていた。その子に連絡を取り、遠くからわざわざ市内に出向いてもらって、話を聞いてもらった。鬱病だとカミングアウトしても、思ったほどは否定的ではなかった。ホッとした。

 

その子とはしばらく、月に一回のペースで会っていた。話を聞いてもらうと安心した。半年ほどそんな生活が続き、クリスマスを控えた11月、彼女からこう言われた。「私のことをどう思っているの?」ぼくは「好きかもしれない」と答えた。ぼくの精一杯だったが、かもしれない、という煮え切らない答えが不満なようだった。その後の12月、クリスマス前のデートで、ぼくは正式に交際を申し込んだ。

 

それから、ぼくはこのままでいいのか悩むようになった。そして、公務員の勉強をやめ、就職活動を行い、有資格者のいる事務所に入社できた。

 

そこは、県内ではおそらく最大の事務所だった。が、中身に問題があった。ぼくの前任者は入社二年目で、20年来のベテランがしてきた仕事を引き継ぎ、あっぷあっぷしていた。その先輩が辞めることがわかり、ぼくが後任としてあてがわれた。最初のほうはまだ何とかなった。ぼくは仕事自体は早いほうだったし、先輩も仕事を教えてくれていた。客ともうまくやっていたし、彼女とも関係は良好だった。

 

4月になり、彼女が市内に転勤になった。嬉しかった。もっと会える時間が増えると思ったし、わざわざ来てもらう手間も省けると思った。そしてそれからしばらくして、ぼくはプロポーズをした。結果はオーケーだった。嬉しかった。

 

それからしばらくして、先輩が仕事を教えてくれなくなった。仕事は時期的に忙しい時期にさしかかっていた。このころから、仕事に小さなミスが増え始め、客から怒られることも多くなっていた。だんだんと朝起きるのがつらくなり、ギリギリに出社することが増えた。一日中動悸がし、残業も仕事にならなかった。ぼくは病院に向かい、診断書をもらった。2ヶ月の休養が必要、とのことだった。

 

忙しい時期に二ヶ月も休めば居場所が無くなる。席は残っていても、精神をやられた人間に仕事は任せてもらえないだろう。そう思ったが、ぼくは限界だった。職場に診断書を出し、休職した。

 

そのときには入籍をしていたから、彼女は妻になっていたのだが、当然、怒られた。もっとがんばってほしいと言われた。つらくても私のことを思ってがんばってほしいと言われた。無理だった。鬱病になった経験のあるひとにはわかるだろうが、それどころではなかった。日々の生活を送るのがやっとだった。

 

親の薦めもあり、休職中に妻の家に引っ越した。引っ越してからも病状は回復せず、何もできない日々を過ごしていた。妻はそれが不満だったらしい。職場では新婚ということでいろいろと訊かれるが、胸を張って夫のことを話せない。職場の飲み会で泣き出してしまったこともあったという。そのことを聞き、ぼくは更に落ち込んだ。この頃から、少し妻との関係が怪しくなってきた。

 

つづく