新婚だけど欝になった。

2017年。ぼくは以前から付き合っていた女性にプロポーズをした。なかなか情けないプロポーズだったが、幸いなことに受け入れてもらえた。

 

仕事は大変だったが、順調だったと思う。好きな仕事ではなかったが、そもそもそのときは好きな仕事なんてものが世の中にあるとは思ってもなかったし、とにかく、正社員であればよかった。

 

 

ぼくの生まれは九州の某県で、特に不自由なく育った。普通の子供だったと思う。親の都合で何度か転勤をし、中学校に上がる前に今の県に定住した。幸い、転勤が多かったため、友達の作り方は心得ていたし、実際、友達はすぐにできた。

 

中学では優秀なほうだった。勉強は苦手ではなかったし、生徒会に入り、短い期間だったが彼女がいたこともあった。

 

高校生になり、見た目に気を遣うようになると、それなりに女の子から人気が出るようになった。勉強でも、学年に2つしかないトップクラスの教室にいたし、部活でも大会に出れば毎回予選を勝ち抜き、3年の夏には全国大会で優勝もした。当時は好きな女の子がいて、その子のことをずっと追いかけていた。3年間のうち2年間はずっと追いかけていたし、ぼくの高校生活のかなりの部分を彼女が占めていたと思う。最終的には、ぼくが不誠実だったおかげで告白しても振られてしまったが。

 

大学生になり、上京した。知名度のある大学の、少し田舎にあるキャンパスだったが、ぼくは満足していた。かなりの額の仕送りをしてもらい、大学からは少し離れていたが、一人暮らしには大きすぎるくらいの部屋に住んでいた。バイトもしたし、サークルも二つ入り、そのどちらでも精力的に活動していたし、友達もたくさんできた。彼女もいたし、うち一人は性格に難があったが、それでも幸せだったと思う。

 

大学を卒業し、ぼくは埼玉にある中小企業に入社した。印刷会社だ。勘のいい人はわかると思うが、印刷の現状は厳しい。なにせ、大手がほとんど抑えているし、いまや広告は映像に取って代わられつつある。例に漏れず、ぼくのいた会社も状況は厳しかった。そんな会社で、ぼくは新しい試みであった「成型品への印刷」という部署に配属された。そこがまた大変な部署で、ぼくは客のいる東京と会社のある埼玉と外注企業のある群馬を車で一日に何往復もする生活を送っていた。夜の0時になると「明日に響くから帰ろう」という先輩の指示に従い帰った。翌日は朝の7:30には会社に着き、一番乗りで仕事をする。寝る時間はなんとか確保できていたし、なにより若かったから、その生活自体は辛くはなかった。なにより、社会人になる、という初めての経験だったし、それが普通なのだと思っていた。

 

会社の社長は怖かった。ぼくはまだ新入社員だったから大目に見てもらっていたが、先輩は怒鳴られ、詰められ、イスを蹴られていた。そんな中で、ぼくは客に怒られ、外注にめんどくさがられながらも、なんとか仕事をこなしていた。だが、限界が来た。客との打ち合わせで大きなミスが見つかり、ぼくは怖くなった。そして、生活も異常であることを自覚し、仕事を辞めて故郷に帰ってきた。

 

地元に戻ってからは、親の勧めで資格の勉強をした。父の持つ資格と同じものだ。今思えば、父はぼくに事務所を継いでほしかったのだとだと思う。一日中図書館にこもって勉強した。ただ、このときからおかしくなった。

 

そんな生活を一年ほど続けていたが、ある日突然、起き上がれなくなった。文字通り布団から抜け出せなかった。三時間くらいかけて布団から抜け出した。食欲もなかった。何かがおかしいのが自分でもわかった。すぐに病院に行った。問診表の質問に回答し、先生と話し、結果、鬱病の診断をもらった。その日は、薬をもらって帰った。

 

薬をもらってしばらくすると、なんとか普通の生活を送れるようになった。とはいえ、資格の勉強は止めてしまったし、前職を辞めてからも一年近くが経っている。このまま就職するのは難しいだろうということで、公務員の勉強をすることにした。学費は親から借り、生活費は飲食店でバイトをして稼いでいた。月に10万くらいは稼いでいたから、小遣いもあったし、さほど生活には困らなかった。

 

そんななか、ぼくはどうしても誰かと話したくてたまらなくなった。病気のことを話したかった。真っ先に思い浮かんだのが、高校の同級生だった女の子だった。クラスも部活もずっと一緒で仲がよく、頻繁に恋愛相談もしていた。その子に連絡を取り、遠くからわざわざ市内に出向いてもらって、話を聞いてもらった。鬱病だとカミングアウトしても、思ったほどは否定的ではなかった。ホッとした。

 

その子とはしばらく、月に一回のペースで会っていた。話を聞いてもらうと安心した。半年ほどそんな生活が続き、クリスマスを控えた11月、彼女からこう言われた。「私のことをどう思っているの?」ぼくは「好きかもしれない」と答えた。ぼくの精一杯だったが、かもしれない、という煮え切らない答えが不満なようだった。その後の12月、クリスマス前のデートで、ぼくは正式に交際を申し込んだ。

 

それから、ぼくはこのままでいいのか悩むようになった。そして、公務員の勉強をやめ、就職活動を行い、有資格者のいる事務所に入社できた。

 

そこは、県内ではおそらく最大の事務所だった。が、中身に問題があった。ぼくの前任者は入社二年目で、20年来のベテランがしてきた仕事を引き継ぎ、あっぷあっぷしていた。その先輩が辞めることがわかり、ぼくが後任としてあてがわれた。最初のほうはまだ何とかなった。ぼくは仕事自体は早いほうだったし、先輩も仕事を教えてくれていた。客ともうまくやっていたし、彼女とも関係は良好だった。

 

4月になり、彼女が市内に転勤になった。嬉しかった。もっと会える時間が増えると思ったし、わざわざ来てもらう手間も省けると思った。そしてそれからしばらくして、ぼくはプロポーズをした。結果はオーケーだった。嬉しかった。

 

それからしばらくして、先輩が仕事を教えてくれなくなった。仕事は時期的に忙しい時期にさしかかっていた。このころから、仕事に小さなミスが増え始め、客から怒られることも多くなっていた。だんだんと朝起きるのがつらくなり、ギリギリに出社することが増えた。一日中動悸がし、残業も仕事にならなかった。ぼくは病院に向かい、診断書をもらった。2ヶ月の休養が必要、とのことだった。

 

忙しい時期に二ヶ月も休めば居場所が無くなる。席は残っていても、精神をやられた人間に仕事は任せてもらえないだろう。そう思ったが、ぼくは限界だった。職場に診断書を出し、休職した。

 

そのときには入籍をしていたから、彼女は妻になっていたのだが、当然、怒られた。もっとがんばってほしいと言われた。つらくても私のことを思ってがんばってほしいと言われた。無理だった。鬱病になった経験のあるひとにはわかるだろうが、それどころではなかった。日々の生活を送るのがやっとだった。

 

親の薦めもあり、休職中に妻の家に引っ越した。引っ越してからも病状は回復せず、何もできない日々を過ごしていた。妻はそれが不満だったらしい。職場では新婚ということでいろいろと訊かれるが、胸を張って夫のことを話せない。職場の飲み会で泣き出してしまったこともあったという。そのことを聞き、ぼくは更に落ち込んだ。この頃から、少し妻との関係が怪しくなってきた。

 

つづく