それでいい。を読んで。

細川氏の「それでいい。」と「わたしの主人公はわたし」を読んだ。
今の自分を肯定すること。筆者は自称ネガティブクイーン、とのことだが、その事実を否定せず受け入れる。ぼくに当てはめてみれば、鬱病の自分を受け入れることだ。

今のぼくの自己評価は限りなく低い。仕事はほとんどしていないし、肩書きもない。チマチマとちょっとしたモノを作り上げているだけ。

でも、仕事となれば一生懸命やるし、家事だってこなしているし、チマチマしたモノでも、納品先の相手は喜んでくれている。裏を返せばこうなることに気付いて、ハッとした。

ぼくは生産性が限りなく低い日常を送っているが、ゼロではない。ゼロではないということは、かけ算をすることができる。人生におけるゼロベースの足し算はかなりの苦労が伴うが、かけ算なら、まだなんとかなるのではないか。そう思った。

昔読んだ本で、性格は変えられるという一文を見た。性格というのはもって生まれた部分も大きいが、単なる習慣の積み重ねであるという。筆者は、怒りやすかった自分を変えた。ぼくも、このクソみたいなマイナス思考を変えることができるのかもしれない。


今日は妻に手紙を書いた。クリスマスに渡すつもりだ。感謝の言葉が半分、懺悔が半分。そんな塩梅だ。半分以上自己満足みたいになってしまったが、まあ手紙なんてそんなものだし、よしとした。そもそも、ぼくは長文をだらだらと書く癖があるし、だらだら続けたあとに本題をポン、と出す。プレゼンなら最悪のやり方だが、物語を書く上では効果を発揮することもある。この手紙も効果的になればいいし、効果が発揮されなければ、それはそれでまあいいのではないか、と思えるようになった。

ぼくは自分の人生をひとつの物語として、俯瞰して見てみることにした。そうすると、今まで色々なことがあったし、悩みもあったが、今となってみれば案外、なんてことのないことではないかと思えてきた。そして、先のことについて考えるのも馬鹿馬鹿しくなった。物語の先を予想するのは買ってだが、それは往々にして裏切られる。特に、王道パターンのやつは。ぼくの人生が王道かどうかは分からないが、覇道にはしたくない。まだ人生の舵は取れる。

たぶん。