映画

映画を観ると気が紛れる。もともと映画は好きな方だったし、映画を作ったこともある。

だが、堂々と映画を見るわけにもいかない。鬱病であるのに映画を見ていると、本当は元気なのに怠けているのでは、と思われてしまうからだ。

ぼくは鬱病になってからも、プラモデルを作ったり、テレビを見たり、本を読んだりすることができた。街に出ることもできたし、車の運転もできる。だけら、ステレオタイプな鬱病のイメージとは違うのかもしれない。

鬱病が再発してから3ヶ月。ぼくは、妻のいない間に家にいるのがいたたまれなくなって、よく外出していた。とはいえ、何か目的があったわけでもなく、ただ街をうろついてみたり、本を読んでみたり、プラモデルを見に行ったり、そういう、好きなことをしていた。だが、それが鬱病らしく見えない原因になっているのかもしれない。

鬱病の人間は鬱病らしく振る舞うべきなのだろうか。一日中家にいて、寝込んで、何もしない状態であるべきなのだろうか。ぼくは、社会復帰のステップとして、まずは好きなことから始めてみる、ということが大切だと思っている。


新型うつ、というのをよく耳にする。仕事になると鬱の症状が出るが、そうでないときは旅行に行ったり遊んだりできる。だから、鬱ではないのではないか、単なる甘えなのではないか、という意見をよく目にする。

ぼくが新型うつなのかどうかは分からない(診断では鬱病のⅡ型、診断書は身体表現性障害、と書かれていた)が、鬱への風当たりは強い。特に、例えばぼくの妻のように、自分にも他人にも厳しい人間は、鬱への理解が無いように思う。

では、ぼくが理解してもらうために何かしたかというと、何もしていない。というのも、何かしたところで理解してもらえるように思えないのだ。

鬱の本で1番分かりやすいと感じたのは「ツレがうつになりまして」という本だ。鬱病の患者本人とその家族(奥さん)からの視点で描かれている。当然、ぼくは患者にシンパシーを感じるし、奥さん側の苦労も知ることができた。だが、妻にこの本を読んでもらったところで、その通りにしなければならないと捉えられてしまったり、甘えているのだと思われてしまうのではないかと思うと、怖くて勧めることができない。

たまに、妻から「私はどうしたらいいの?」と訊かれることがある。ぼくは答に困って、「いつも通りにしていてくれればいいよ」と答える。でも本当は違う。分かってほしい。辛さを共有してほしいとまでは言わないが、辛いことを分かってほしいのだ。


あなたは一人の時間がたくさんあるから、二人でいるときはもっと二人の時間を作りたいのだろうけれど、私は外で仕事を頑張ってきて疲れて帰ってきている。自由になれる時間がやっとできたのだから、一人で楽しめることをしたい。そうよく言われる。たしかにぼくは、ほとんどの時間を一人で過ごしている。でも、好きなことをできているかというとそうではない。何かをしていても楽しくない。焦りばかりが募ってくる。このままでいいのか、誰かに答を出してほしい。


誰かに助けてほしい。

できれば、妻に。